やがて、メモ帳とペンを手にした由梨絵が司を追ってきた。司の靴のことを言っていた割には、彼女もまたハイヒールという気取ったものを履いていた為、その足元は恐ろしく覚束ない・・・・。
―――いっそ転んで怪我でもして、この撮影所からいなくなっちまえばいいのに・・・・という司の願いも虚しく、彼女は無事に辿り着くと司に紙とペンを渡した。
「遅っせーんだよっ」
由梨絵に八つ当たりの悪態をつきながら、姫宮に向き直ると
「ケータイ番号と泊まるホテルの名前、早く書けよ!」
「・・・あ。ハイ―――でも、ホテルじゃなくて旅館ですけど・・・」
「どっちでもいいから、書け!」
書き終えるのを待ちきれないように、司はメモ帳を姫宮からふんだくると書かれた文字に目を通した。
「・・・よし。じゃあ、あとで電話するから」
「はい・・・」
小さく笑って頷く姫宮の顔を、司は暫し見つめると、やがて満足したように踵を返し待っていた車に乗り込んだ。
―――まあ、これからは撮影中会えるんだし・・・・もし会えなくても、会いに行くし・・・。いざとなったら、この旅館まで乗り込んでいくし・・・・
「・・・司くん・・・?」
車に乗った途端、急に大人しくなってニヤニヤ笑っている司を訝しく思ったのか、由梨絵が心配そうに声をかけてきたが、司は思いっ切り無視した。
頭の中はすでに、撮影のことより姫宮のことで一杯だった・・・・。
台本はとっくに何十回も読み返して完璧に頭に入っていたし、役作りも、今回は司自身と似た性格のキャラだったので、苦労なく役になりきることができた。
だから安心、というわけでもないのだが・・・・。最初から乗り気でなかった映画だけあって、司にとってはぶっちゃけどうでも良かった。
よほどのヘマでもやらかさない限り、司に文句を言える人間などいない・・・・。
なにしろ皆、司のご機嫌取りに必死なのだ。司にヘソを曲げられ、睨まれたら最期、この業界では遅かれ早かれ地中深く葬り去られることになる、という噂がまことしやかに広まっていた。
―――そんな噂も、もちろん司の父親である大物俳優、小河見裕の存在が大きすぎるが故の単なるデマである可能性の方が断然強いのだが・・・。それが本当かどうか、確かめる勇気のある人間がいない限り、真相はわからない・・・・。
ホテルに到着し、部屋に入って一息ついた司が、まず真っ先にしたことは姫宮への電話だった。
「―――あ、俺。うん・・・・。いや・・・用っていうか・・・。えーと・・・。あ、そうだ!さっき言い忘れたけどさ・・・サンキューな・・・。えっ・・・!いや、だからさ・・・・そう、転びそうになった時、助けてくれただろ?―――うん・・・・けどさ・・・・」
司らしくもなく、焦ってしどろもどろになりながらも、姫宮の声を聞けただけで司はとにかく嬉しかった。
それにしても、さっき会ったばかりだというのに、声を聞くとまたすぐに会いたくなって仕方ない・・・・。
姫宮の声を聞き、顔を思い浮かべるだけで、何故こうも心臓がドキドキと高鳴るのだろう・・・?こんな経験は今迄したことがない・・・。
―――これは、いったいなんだろう・・・・?
新人タレントの可愛い女の子に誘われて寝た時とも違う・・・・年増女優と成り行きで寝た時とも、違う―――・・・いつだって俺は、女なんて単なる性欲の対象としか見てなかった―――・・・って、なんで姫宮を女と比較してんだよ?
―――・・・姫宮は男・・・・。
だけど、その辺の女より全然綺麗だし、可愛い・・・・と思うのは、自分がどこかおかしいからなのだろうか?
―――もしかして、俺って・・・・・
そこまで考えて司は、後ろから自分を抱きとめてくれた姫宮の身体の感触をはっきりと思い出した。分厚い服越しではあったけれど、それでも、女性のものとは明らかに違う姫宮の引き締まった身体を司ははっきりと感じた。
あんなに細身なのに、貧弱とか華奢という感じをまったく受けないのは、均整の取れた肢体と、鍛えられた無駄のない質の良い筋肉のせいなのだろうと司は思った。
それと共に、―――抵抗されたら、勝てない・・・勝てないどころか、ぶっ飛ばされる・・・・・。
という想像がどこかから湧いてきた。
―――抵抗・・・・。そりゃ、するに決まってるだろーが・・・・。
「―――・・・・おいおい」
司は一人で苦笑いして、無意識に呟いていた。
―――俺、寝たいのかよ?・・・あいつと・・・・・
暖房の良く効いた暖かなスイートルームで、由梨絵が夕食に呼びに来るまで、司は一人でいつまでも悶々と考え込んでいた・・・・。
翌日、早朝からの撮りは順調に進んでいた。
司も寝不足のわりに頭はすっきりしていて、完璧に覚えた台詞も難なくスラスラ出てきた。
どうでもいいとは思っていても、いざカメラが回りだすと、まるで本能のように自然に身体が動き出し、顔が表情を作る・・・・。
子供の頃から、司はそうだった。どんなに泣きたい時でも、怒っている時でも、カメラが回った途端、クルッと表情を変え、心から楽しそうに笑ったり、話したりすることが出来るのだった。こればっかりは血筋は争えない、と司も思う。
昼前に司は休憩に入ったので、姫宮を探しにロケ地を散策した。
ようやく見つけ出した姫宮は、スタッフやアルバイトの連中と一緒になって道具を運んだり、セットを組み立てたりしている。
司は仰天して傍に駆け寄った。
「姫宮!!なんで、そんなことやってんだよ?!誰がこんな雑用やれって言ったんだっ?おい、どこのどいつだ!?出て来いっ!!」
いきなり怒って辺り構わず喚き出した司を、姫宮は慌てて制した。
「ち、違うんですってば、小河見さん!俺が自分で好きでやってるんですから・・・」
「―――あ?なんだって・・・・?」
「だって・・・出番まで暇ですし・・・人手は多い方がいいじゃないですか。大丈夫です、体力には自信ありますから」
「・・・・でも、お前なぁ―――」
こんなことやってるくらいなら、自分の撮影シーンを見ていて欲しいのに・・・・と司は心の底から思ったが、さすがに言えなかった。
「それじゃ、小河見さん。頑張ってくださいね」
姫宮はそう言うと、さっさとまた戻って行ってしまった。
「―――・・・・」
呆気にとられて見送りながら、司は改めて思い知った。
―――優しそうに見えて、なんて頑固なヤツだろう・・・・俺の言うことなんか、まるで聞きやしねえ・・・こんな人間初めて見た・・・・。
姫宮はすでに若いスタッフ連中とも打ち解けて、なにやら楽しそうに談笑を交わしている。
―――あいつ・・・
もしかして、俺の悪い噂でも色々吹き込まれて、俺のこと嫌いになったんじゃないだろうな・・・・?いや、もしかして、元々俺のことなんか嫌いなんじゃないか・・・?
司は、なんだかソワソワと落ち着かない気分になって、いつまでもそこに立ち竦んでいた。しかし姫宮は、すでに司のことなど眼中にない様子で、機敏な動きであちこち飛び回って仕事をしている。実際、その仕事で給料もらって働いているスタッフ達より、よほど役に立っていそうだった・・・。
司は、その敏捷さに見とれながらも、やはり気分的には物凄く面白くなかった。
―――なんで、俺の傍にいてくれないんだよ・・・・?
to be continued....